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慈徳院 (織田信長側室) : ウィキペディア日本語版 | 慈徳院 (織田信長側室)[じとくいん]
慈徳院(じとくいん、生没年不詳)は、安土桃山時代の女性。織田信長の側室。三の丸殿の生母。名は不詳〔岡田正人『織田信長総合事典』P169〕。 == 略歴 == 滝川一益の親族と伝わり、一説にはその娘とも言う。信長の嫡男・信忠の乳母を務めたことが縁で、信長の目に留まって側室となり、寵愛を受けて後に豊臣秀吉の側室となる六女の三の丸殿を産んだ。三の丸殿は結婚当時10歳前後であったと考えられる。また一益には信長の女婿とする説もあり、いずれにしても、織田家とは所縁が非常に深かった。 本能寺の変の後は、信忠を弔うために妙心寺内に大雲院を建立した〔ただし異説として大雲院は滝川一益の建立とも伝わる。〕。大雲院は信忠の法名である。兄に僧・九天宗瑞がいたとされ、この兄が大雲院の開山となったとされる〔。これは一益が建立した長興院と後に合併されており、同じく一族の津田秀政らも葬られている。
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